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実験工房展 戦後芸術を切り拓く

戦後の自由で新しい表現をめざし、1954年、前衛のパイオニアとして活躍していた吉原治良をリーダーに、若い作家たちによる「具体美術協会」が関西で結成されました。グループ名は、「精神が自由であることを具体的に提示する」という理念に由来しています。

一方、東京においては、1951年、美術・音楽・照明・文学などジャンルを超えた若手前衛芸術家のグループ「実験工房」が結成されています。命名は、彼らの精神的支柱となった詩人・美術批評家の瀧口修造(1903~1979)によるものです。この「実験工房」の活動を、作品や記録写真等で紹介する展覧会が世田谷美術館で開催されています。
<会期:2013年11月23日~2014年1月26日>

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実験工房のメンバーとなる山口勝弘(1928~)、北代省三(1921~2001)、福島秀子(1927~1997)の出会いは、1948年、日本アヴァンギャルド美術家クラブ主催のモダンアート夏期講習会に参加したことが始まりでした。講師は、岡本太郎や桂ゆきが務めたといいますから、今、開催されても参加したい講習会ですね。岡本太郎は、「20代の作家が主導的に時代のトップを切らなければ、芸術は萎靡してしまうのだ」という信念を持っていたといいます。

彼らの作品の中で、山口勝弘の「ヴィトリーヌ」(飾窓)と名づけられた一連の作品の美しさは秀逸です。箱型の抽象絵画で、表面には格子の型模様のついたガラスがはめられており、奥の造形をガラスごしに鑑賞します。ガラスの屈折で造形が重なりを増し、美しさが増幅します。

彼らを含む実験工房メンバーの活動は、前衛美術だけでなく、現代音楽、創作バレエ、モダンダンス、実験映画と多岐にわたっています。そして驚いたのは、1970年の大阪万博に、実験工房や具体美術協会のメンバーがスタッフとして関わっていたことです。山口勝弘も、三井グループ館のチーフプロデューサーでした。

日本万国博覧会といった一大国家事業に起用されるのは、権威ある保守的な芸術家というイメージがあり、反体制的と捉えられがちな前衛芸術家の活躍の場となっていたという認識がありませんでした。アートとテクノロジーの融合をめざし、近未来社会のイメージをつくりあげた前衛芸術家たちの実験的ともいえる試み。今では、パビリオンも取り壊され見ることはできませんが、画期的な試みを生んだ時代性をもっと検証したくなる展覧会です。

展覧会のホームページはこちらから
世田谷美術館

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

川瀬巴水展―郷愁の日本風景

銀座並木通りを新橋から銀座に向かって歩くと、右手に「渡邊木版画美術画舗」があります。創業は、明治39(1906)年。渡邊庄三郎(1885~1962)が店をかまえ、海外に浮世絵を輸出していましたが、大正時代には、「新しい時代の浮世絵をつくろう」と画家たちに呼びかけ、芸術性の高い木版画をめざす「新版画」というジャンルを築きました。この呼びかけに応え、版元の渡邊と組んで、600点を超える木版画を残した川瀬巴水(1883~1957)の生誕130年展が千葉市美術館で開催されています。

<会期:2013年11月26日~2014年1月19日>

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幼い頃から絵を好んだ川瀬巴水は、27歳のときに鏑木清方に入門。35歳のとき、同門の伊東深水が手がけた木版画の連作「近江八景」に感銘を受け、木版画を発表するようになります。以降、旅に出てはスケッチをし、東京に戻っては版画をつくるという暮らしを続け、旅の風景を叙情的に描いて「昭和の広重」と呼ばれるまでになりました。

山里や漁村、寺社や路地などの何気ない風景が描かれていますが、静かで、どこか憂いを含んだ風情が漂っています。印象的なのは、巴水ブルーとも言うべき、美しい青の色。水の青や、空の青もそうですが、特に、夜のとばりの青が心に沁みます。月夜の風景や、薄明かりを残して暮れなずむ風景が、青の濃淡で叙情的に表現されているのです。川、海、湖などの水辺の風景も、橋や街灯の光の反映や水面のゆらぎなどが繊細に表現されています。

また、雨や雪が風景の表情を変えることを、巴水は知っていました。そぼふる雨や降り積もる雪によって、風情を増す街の風景が見事にとらえられています。

会場では、「増上寺の雪」(1953)を例に、順序摺の映像を見ることができます。微妙な陰影や色合いの深みなどを表現するために、なんと42回も摺り重ねて制作されています。川瀬巴水は「私と職人との心が一致するときよいものができる」と述べていますが、絵師、版元、そして、彫師、摺師が心をひとつにして、作品を生み出していたことがよくわかります。

作品点数も十分で、貴重な写生帖も展示されており、とてもみごたえのある展覧会です。

展覧会のホームページはこちらから
千葉市美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

生誕140年記念 下村観山展

13歳で描いた絵が注目され、16歳で、横山大観(1868~1958)らとともに東京美術学校の第1期生となった下村観山(1873~1930)。岡倉天心の薫陶を受け、卒業後は、すぐさま助教授に抜擢されるほどの力量を示しました。観山の10代の狩野派修行期から、円熟期、絶筆となった「竹の子」まで、画業の全容が鑑賞できる展覧会が横浜美術館で開催されています。
<会期:2013年12月7日~2014年2月11日>

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13歳のとき、フェノロサらが主宰する「鑑画会」に作品を出品し、「実に後世恐るべしとて、見る人の舌を振へり」との新聞評を得た観山。10代の作品が鑑賞できるのは魅力です。森狙仙の「狼図」の模写は、毛並みの表現に修練の跡がうかがえます。17歳で校内競技会に出品した「雨の芭蕉」(1890)は、大ぶりの芭蕉の葉の下に、雨やどりをするように4羽のすずめが描かれており、斬新な構図が目を引きます。

1903年よりイギリスに留学し、西洋絵画の研究をしたことは、大きなプラスになったと考えられます。留学中に描かれたラファエロ「椅子の聖母」の模写(1904)も展示されていますが、ラファエロのやわらかな陰影が、水彩で絹に見事に写されていることに驚きます。

そして、1909年の「小倉山」(六曲一双)。百人一首におさめられた歌「小倉山 峰のもみじ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」をモチーフにしたといわれる作品です。右隻には、さまざまな木々や蔦、赤く染まった紅葉が交差して描かれ、その間に、歌の作者である藤原忠平がゆったりと座っています。「もみじ葉に心があるならば、もう一度ここを訪れるときまで、散らずに待っていておくれ」という歌の意のとおり、散りゆく紅葉を惜しむかのように。

よく見ると、この絵は、右隻と左隻の地の線が連続していません。その結果、左隻の風景が右隻の前方にあるように見え、作品に奥行きが生まれ、広がりを増しています。また、左隻は、空間を生かして構成されており、「間」の中に心が描かれているかのようです。同じく大作である「白狐」(1914・二曲一双)、「弱法師」(1915・六曲一双)も、右隻には、それぞれ、木々と狐や、梅の木と弱法師が高密度で描かれているのに対し、左隻には象徴的な「間」が残されています。それが余韻となって、心に残る作品です。

他にも、観山の筆、刷毛、硯といった絵画用具一式なども展示されており、充実した展覧会です。

展覧会のホームページはこちらから
横浜美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

モネ、風景をみる眼―19世紀フランス絵画の革新

「私の眼はしだいに開かれた。自然を理解し、愛することを知ったのだ」
こんな言葉を残したモネ(1840~1926)の風景にそそがれた眼の軌跡をたどる展覧会が、国立西洋美術館で開催されています。国立美術館と企業の私立美術館であるポーラ美術館の共同企画という、めずらしい試みで、国内有数のモネのコレクションを誇る2館ならではの展覧会です。
<会期:2013年12月7日~2014年3月9日>

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本展示に先駆け、ポーラ美術館で開催されていた同名の展覧会では、入ってすぐのスペースに、「舟遊び」(1887)と「バラ色のボート」(1890)が並べて架けられていました。ボートに乗ったふたりの女性という同じ題材の作品を並べて見るのは、はじめての経験でしたので、それぞれの構図の面白さや、人物と風景が一体化した美しさに心ひかれました。

国立西洋美術館では、この2作品を、「睡蓮」の連作と同じスペースで見ることができます。すると不思議なことに、ポーラ美術館で2作品を見たときとは、違った意味合いが見えてきました。モネは、人物よりも「水」が描きたかったのではないかと思えたのです。

1890年代から、モネが自宅の庭に太鼓橋や睡蓮の池を整備し、睡蓮の連作を生んだことはよく知られていますが、次第に、太鼓橋や周辺の木々が描き込まれなくなり、池のみを小宇宙のように描くようになったといいます。空や周囲の木々を映し、光と影がたわむれる水面や、水面から見える水中の水草のゆらぎなど、刻々と姿を変える水の奥行きがひとつの宇宙のように感じられたのでしょう。

その眼で2作品を見ると、「舟遊び」は、空の雲や人物の影を映した水面の表現が主役のようにも見えてきます。「バラ色のボート」は、オールをこぐ際の水の動きや、周囲の緑の反映と奥の水草のゆらぎが渾然一体となって、ダイナミックです。

モネは眼にすぎない、しかし何と素晴らしき眼なのか―セザンヌの言うモネの眼を自分の眼として、モネの見た風景を感じてみませんか。

展覧会のホームページはこちらから
国立西洋美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

トマシェフスキ展 世界を震わす詩学

第2次世界大戦後の荒廃したポーランドに、独自のポスター文化が花開きました。街角に貼られた演劇、映画などのポスターは、市民に勇気と希望を与えたといいます。ポーランド・ポスターの草分け的存在であったヘンリク・トマシェフスキ(1914~2005)のポスター展が、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されています。

<会期:2013年12月2日~12月25日>

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ポーランド人民共和国の共産党一党独裁政権下において、トマシェフスキのポスターは、輝くような明るい色調で自由な雰囲気を醸し出していました。しかも、当局との確執が起こることを回避する絶妙な工夫が凝らされていたのです。

ポーランド人民共和国の国章は、赤い盾の背景に白い鷲が表されていました。ポスター「7月22日開放記念日」(1960)は、共産主義国家の象徴とも読み解ける赤の色を緩和するため、ポスターの周囲に赤枠としてあしらい、白いイーグルも威圧的にならないようデザイン化されています。まるで、平和の象徴である白い鳩とも見えるほどです。

鳩といえば、「世界平和」(1965)。平和の象徴である鳩の上に、白・黄・黒・茶の色が、プラスの記号で結ばれています。4色は、世界の人種を表しているのです。

また、1981年、ヤルゼルスキ政権は、ポーランド全土に戒厳令を発令。戒厳令下では、公共の場でのVサインが禁止されました。演劇「歴史」(1983)は、手ではなく、足としか見えない部位でVサインをしているポスターです。

本展覧会のポスターにも意匠が使用されている「ヘンリク・トマシェフスキ ワルシャワ展」(1969)は、目の先に赤い色がありますが、見ている目の中にも緑の点があり、どちらがどちらを見ているのか‥。見ることも見られることも象徴しているようで、まさに、トマシェフスキの展覧会にふさわしいポスターですね。

当時の社会情勢を紐解いて、もう一度見たくなる展覧会です。

展覧会のホームページはこちらから
ギンザ・グラフィック・ギャラリー

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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心が豊かになるアートを見つけに飛び立つ青い鳥です。

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