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日本美術院再興100年 世紀の日本画

岡倉天心(1863~1913)は、西洋化が第一義とされた明治時代に、日本伝統美術の価値を認め、東京美術学校を設立し、27歳の若さで校長に就任します。ところが、1898年(明治31年)、学校内部の確執から同校を追われ、一緒に辞職した横山大観(1868~1958)、下村観山(1873~1930)ら26名とともに日本美術院を創設します。大正初年には休止状態にありましたが、1914年(大正3年)、天心の一周忌を期して再興されました。再興100年を記念して、同人の名品のかずかずが東京都美術館で展示されています。
<会期:2014年3月1日~4月1日(後期)>

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再興された日本美術院においては、大正時代の自由を尊重する芸術を理想とし、「教師なし先輩あり」の自由研究を重要としていたといいます。日本画以外に、洋画部、彫刻部もありました。小杉未醒(1881~1964)の「山幸彦」(1917)は、山幸彦と豊玉姫の出会いを描いていますが、ポーズをとる人物の配置と淡い色彩が特長的な油彩。年初からBunkamuraで展覧会が開催されていたシャヴァンヌ(1824~1898)の影響が指摘されています。平櫛田中(1872~1979)の「禾山笑」(1914)は、椅子に腰かけた禾山和尚がのけぞりながら大口を開けて大笑する木彫。豪放磊落であったであろう禾山の人となりを感じることができます。

横山大観は「作品の対象は自然と人生」と述べていたといいます。自然が対象の日本画として、格調の高さを感じる2品を。前田青邨(1885~1977)の「芥子図屏風」(1930)は、芥子の群生を描いていますが、一見して白の連なりに見えながら、白の芥子の花のひとつひとつが丹念に描写されています。小林古径(1883~1957)の「孔雀」(1934)は、緑青と金泥のみのシンプルな画面に、孔雀の羽の1本1本が丁寧に描かれ、気品に満ちています。

人物が対象の日本画として、力強い存在感を放つ2品を。女性としてはじめて同人となった小倉遊亀(1895~2000)の「コーちゃんの休日」(1960)は、越路吹雪をモデルとしていますが、赤の背景に白の浴衣姿で椅子に寝そべる彼女が描かれています。足の親指の表情やそり具合、ものうげなのに見据えるようなまなざしなど、生身の女性の生命感を感じます。片岡球子(1905~2008)の「面構(歌川国芳)」(1977)は、絵筆を手にした国芳と仕上げた作品がひとつの画面に並べられています。国芳のアクの強い面構も相当なものですが、国芳の背景はオレンジで、作品の中の女性は雨の中、ブルーの傘を広げており、色彩の対比も迫力があります。どちらも一度見たら忘れられません。

他にも近代日本画の巨匠たちが勢ぞろいしており、「世紀の日本画」が堪能できます。
会期はあとわずかです。

展覧会のホームページはこちらから
東京都美術館

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

魅惑のニッポン木版画

年初から江戸東京博物館で「大浮世絵展」が開催され、浮世絵から大正・昭和の新版画までの流れを見ることができました。横浜美術館の「魅惑のニッポン木版画」では、時代が下って、平成の現代アートで実践される木版画が多数加わり、幕末から平成まで、木版画の魅力が堪能できます。
<会期:2014年3月1日~5月25日>

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小学生の頃、彫刻刀で木を彫り、バレンで版画を摺った記憶は、誰もが持っているのではないでしょうか。木版画は日本人にとって身近なものであり、明治・大正期においては、千代紙・団扇絵・引札(広告チラシ)などに使用され、庶民の暮らしに彩りを添えてきました。生活と美術の融合を目指した竹久夢二(1884~1934)は、1914年、「港屋絵草紙店」を日本橋に開店し、千代紙や絵封筒、ぽち袋などを販売しています。椿やきのこを図案化したモダンで美しい千代紙が展示されていますが、当時の多くの女性の心をとらえたに違いありません。

また、浮世絵は、絵師・彫師・摺師という職人の分業によって制作されていましたが、大正・昭和期には、実用目的ではなく芸術表現としての版画を目指し、下絵から摺刷までひとりで行う「創作版画」が盛んになります。恩地孝四郎(1891~1955)の「ダイビング」(1936)は、ダイビングする女性を下からとらえた大胆な構図が印象的で、木版画の概念が覆されます。川上澄生(1895~1972)の「南蛮船図」(1939)は、太めの黒の線を生かしたステンドグラスのような味わいが個性的です。

戦後、日本の木版画は国際的にも高く評価されるようになりますが、棟方志功(1903~1975)や恩地孝四郎などが海外へと活動の場を広げる背景には、アメリカ進駐軍のコレクターの存在があったといいます。江戸絵画にしてもそうですが、日本美術の価値はアメリカ人コレクターの目利きによって、先に見出されてしまうのですね。

そして平成期において、木版技法で新しい表現を追求しているアーティストの作品も展示されています。桐月沙樹(1985~)の「ナミマノダンサー」(2011)は、木目を彫り、バレリーナのモチーフを反復させて刷り込んだ作品。画面全体に流れる木目の中に、いくつものバレリーナが見え隠れし、現れては消える踊り手が美しい旋律を奏でています。これが木版画!?と思うような作品もあり、新時代の「ニッポン木版画」にも魅了されます。

展覧会のホームページはこちらから
横浜美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

前川しんすけ ヒトコマ漫画の世界

新聞で4コマ漫画を見ることはあっても、ヒトコマ漫画を見る機会は、めったにないのではないでしょうか。週刊文春や小説誌にヒトコマ漫画を発表してきた前川しんすけの原画展が、ノエビア銀座ギャラリーで開催されています。水彩で彩色された額装原画15点と、壮大な巻物原画が展示されています。
<会期:2014年1月14日~3月28日>

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額装原画は、1枚のポスターほどの大きさがあり、絵画を鑑賞するのと同じ気持ちで作品の前に立つことができます。「20xx年の引っ越し…!?」は、道路を車といっしょに、1軒の家が疾走しています。面倒な引っ越しですが、未来の引っ越しは、その家に暮らしたまま、家自体が移動してくれるのです。また、「クローン研究所御一行様…!?」は、バスから同じ姿かたちの人ばかりが、次々と降りてきます。科学が発達し、クローン人間も作ろうと思えば作れる時代になり、そんなクローン人間たちの慰安旅行だったのですね。1枚の中にユーモアが凝縮され、作品タイトルと原画を見比べることで、ヒトコマにこめられたメッセージを読み解く楽しさが満喫できます。

巻物原画は、1980年に第26回文藝春秋漫画賞を受賞した「中町銀座商店街」。道路に沿って、2階建ての商店が延々と連なって描かれ、壮大な巻物となっています。それぞれの商店にドラマがあり、果物屋の2階には食べごろの娘が、酒屋の2階には禁酒禁煙の張り紙、薬局の2階には熱をだして寝込んでいる人が…。原画は10メートルといいますから、作者の想像力の豊かさに驚かされます。

あたたかい日も増えてくる3月。ぶらりと立ち寄って、頭の体操はいかがでしょうか。

展覧会のホームページはこちらから
ノエビア銀座ギャラリー

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

岸田吟香・劉生・麗子 知られざる精神の系譜

おかっぱのヘアスタイルと赤い着物。誰もが見覚えのある「麗子像」で知られる岸田劉生とその父である吟香、娘の麗子という親子3代にわたる物語をたどる展覧会が、世田谷美術館で開催されています。特に吟香に関する資料が充実しており、文明開化の明治期を精力的に生き抜いた人物伝としても楽しめます。
<会期:2014年2月8日~4月6日>

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岸田吟香(1833~1905)は、31歳のとき眼病を患い、横浜にてアメリカの医師へボンに液体目薬を処方されます。その効用に驚き、自ら「精錡水」として製造販売にのりだします。吟香が先駆的なのは、「精錡水」取次販売所の看板を木地に金文字に統一し、今でいうCIを行っていたこと。さらに、美術家を起用した広告戦略にも取り組みました。明治の広重と呼ばれた小林清親(1847~1915)が描いた引札(広告チラシ)も展示されています。

その収益は、訓盲院設立のための寄付や美術家の支援にあて、「コレラ病予防の心得」などを作成して、民間の疾病に対する意識向上にも尽力しました。その他にも、和英辞書編纂や新聞の発行、東京日日新聞の主筆など、めざましい活躍ぶりです。意欲旺盛な実業家でありながら、前述の小林清親や洋画家である高橋由一(1828~1894)ら美術家と交流し、公私にわたり支援したことは、劉生の父たる所以かもしれません。

薬舗「楽善堂」を銀座に構えたことから、劉生(1891~1929)は銀座生まれの銀座育ち。当時の銀座は、レンガ建築のモダンな町並みでした。銀座の風景を描いた油彩(1910頃)も残っていますが、東京日日新聞に「新古細句銀座通」(1927)と題して、自画の挿絵付で随筆を連載していたことに驚きました。文章についても、非凡な才能を発揮していたのですね。また、結核療養中に描くようになった静物画も、「麗子像」に匹敵する存在感に満ちています。尿毒症とのことですが、38歳の若さで早世したのが惜しまれます。

会場では、入ってすぐのスペースに、複数の「麗子像」が展示されています。一度みたら忘れられない存在感を放つ作品ですが、当の麗子(1914~1962)は、“あの麗子”と見られ続けることに、どのように折り合いをつけて生きていたのでしょうか。劉生の遺した日記を精読し、父の評伝を書き上げてすぐの急逝も、“あの麗子”として象徴的な出来事だと感じます。会場の最後には、1960年に撮影された、洋装ツーピースの麗子のポートレートが展示されていますが、「麗子像」に描かれた表情とそっくりです。「麗子像」には、その後の人生まで凝縮されていたかのような不思議な思いにとらわれました。

展覧会のホームページはこちらから
世田谷美術館

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心が豊かになるアートを見つけに飛び立つ青い鳥です。

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