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小田野直武と秋田蘭画

1774年、ドイツ人医師クルムス原著のオランダ医学書「ターヘル・アナトミア」を杉田玄白らが訳し、「解体新書」として刊行しました。その挿絵を描くことに抜擢されたのが、当時25才、秋田藩の小田野直武(1749~1780)。原書の銅版画を小田野が写しとり、その下絵に基づいて木版で刷られたといいます。

徳川吉宗が洋書の輸入を緩和したことから、ヨーロッパの学術・文化を研究する蘭学が盛んになっていた江戸時代半ば。江戸に上り、蘭学者とも交流した小田野は、「秋田藩氏が中心に描いた阿蘭陀風の絵画」=「秋田蘭画」の中心的な描き手でもありました。この「秋田蘭画」を特集する展覧会が、サントリー美術館で開催されています。
<会期:2016年11月16日(水)~2017年1月9日(月)>

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メインビジュアルは、小田野が描いた重要文化財「不忍池図」(18世紀)。不忍池の淵にぽつんと置かれた二つの鉢植え。この状況からしてミステリアスですが、はっきり描かれた近景の花と、遠く煙るように描かれた背景との対比や、うすく塗られた空と池のブルーが、静かで時間がとまったかのような不思議な雰囲気を醸し出しています。

手前の鉢には、赤と白の芍薬。奥の鉢には、キンセンカと青の薬用サルビア。季節の違う花が描かれているため、四季を描いたのではないかともいわれているそう。近景の花はリアルで、芍薬のつぼみと茎には、3匹の蟻まで描写されています。

近景を拡大し奥行きのある遠景を描く構図は、秋田蘭画の特長とのことで、小田野の「蓮図」(18世紀)や、秋田藩主であった佐竹曙山(1748~1785)「松に唐鳥図」(18世紀)にも見ることができます。

もともと、小田野が江戸に上ったのは、平賀源内(1728~1779)が秋田を訪れた際、小田野の画才を見出したことがきっかけともいわれ、源内は小田野に遠近法や陰影法など西洋絵画の技法を教えたとされています。その源内は、人を殺めたとして獄死。小田野も1779年、突然謹慎を命じられ、翌年32才で死去。主要人物が相次いで世を去ったことで、秋田蘭画が注目されるのは20世紀以降になってしまったとか。

どこかシュールな雰囲気が漂う秋田蘭画の魅力を堪能するチャンスです。

展覧会のホームページはこちらから
サントリー美術館

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

クラーナハ展 500年後の誘惑

冷めたまなざしと白い肌。小ぶりな乳房と少女のようにも見える肢体。クラーナハ(1472~1553)が描いた女性像は、ボッティチェリ(1445~1510)やラファエロ(1483~1520)といったイタリア・ルネサンスの画家たちのふくよかな女性像に比べると、どこか不健康で妖しい雰囲気をまとっています。ドイツ・ルネサンスを代表する画家、クラーナハ。特異のエロティシズムと評される一癖ある作品群が、国立西洋美術館に集結しています。
<会期:2016年10月15日(土)~2017年1月15日(日)>

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1505年、ザクセン選帝侯の宮廷画家となったクラーナハ。大規模な工房を構え、絵画の大量生産を行なったといいます。薬の販売や印刷事業など実業家としても活躍し、市長にも選出。マルティン・ルターの盟友として、宗教改革にも貢献しました。

実業家として成功を収めたクラーナハが、一方で、妖しい魅力を放つ女性像を描きまくっていたとは…。暗闇の中に裸体の全身像として浮かび上がる「ヴィーナス」(1532)は、少し腹部を突き出したようなS字型の華奢なボディライン。完全な裸体ではなく、首には豪華なチョーカーとネックレス、髪全体をネットのような髪飾りで覆っています。細長いベールを手にしてはいますが、あまりにも透明なため、素肌ははっきりと透けて見えます。うっすらと微笑みを浮かべ、自分が見られていることを、また、見られている裸身が魅力的であることを、十分に意識しているかのよう。

 「正義の寓意(ユスティティア)」(1537)も、天秤と剣を手にした女性は、髪飾りと首飾りのみを身に付け、透明なベールに包まれていながら、包まれていないように透けて見える裸身が、なんとも魅惑的。

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メインビジュアルになっているのは「ホロフェルネスの首を持つユディト」(1530頃)。自らがとった将軍の生首を手にするユディトは、無表情に落ち着き払い、うっすらとした笑みまで浮かべています。生首のグロテスクさを凌駕する圧倒的なユディトの美しさは、将軍を誘惑した「女のちから」そのもの。

「女のちから」に骨抜きにされてしまった男性として、糸紡ぎをさせられるヘラクレスや、デリラに髪の毛を剃り落とされてしまうサムソンも描かれています。宗教改革から500年を数える本年に開催されたクラーナハ展。500年後の誘惑に惑わされてみませんか。

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展覧会のホームページはこちらから
国立西洋美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

拝啓ルノワール先生

この秋、交流のあった二人の画家に注目した展覧会が開かれています。ひとつは、フランスのアルルで2ヶ月をともに暮らしたゴッホ(1853~1890)とゴーギャン(1848~1903)の作品を比較しながら鑑賞できる、東京都美術館のゴッホとゴーギャン展。さらに三菱一号館美術館では、ルノワール(1841~1919)と、晩年のルノワールに師事した梅原龍三郎(1888~1986)の作品を、周辺の画家たちの作品とともに見ることができます。
<会期:2016年10月19日(水)~2017年1月9日(月)>

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画業を志した梅原は、20歳で渡仏。渡航費用は父親が出したといい、生家が京都の裕福な染物問屋だったことが幸いしています。パリに着いてルノワールの絵を知った梅原は、「此の画こそ私が求めて居た画」だと感動し、ルノワールの別荘を訪問。ルノワールは見ず知らずの日本の若き画家を受け入れ、昼食をともにして語らったそう。

以後、ルノワールの指導を受けるようになったという梅原の「読書」(1911)には、技法だけでなく、本を読む女性のポーズや表情にまで、ルノワールの影響が色濃く感じられます。1913年の帰国後、再訪がかなわなかった梅原は、1919年、ルノワールの死に際し「足もとから地が裂けて来た様な驚きと悲しみに打たれた」と記しています。

そして遺族を弔問した梅原が、ルノワールのアトリエで目にしたのが3点の「パリスの審判」。会場には、2点のルノワールの同作と、後年、90歳の梅原が模写したという「パリスの審判」(1978)が展示されています。梅原の模写には師への思いが溢れているのか、90歳の作とは思えないほど力強く自由で、女神たちは画面からはみ出さんばかりです。

かといって梅原は、ルノワール一辺倒であったわけでもないようで、交流のあったルオーやピカソの作品も蒐集していました。ポンペイの壁画も模写しています。周辺の画家たちの作品といっしょに鑑賞すると、梅原の作品の中に、それぞれの画家たちからの影響が混ざり合っているように見えてきます。梅原の日本人離れした力強い線と色彩は、貪欲にフランスを吸収した渡仏経験あらばこそ、と感じるのです。

ルノワールがオリーブの木陰で描くのを好んだことにならい、軽井沢の別荘で楓の木をたびたび描いたという梅原。日本でルノワールの紹介に努め、評価と知名度を高めたといいます。拝啓ルノワール先生、その後に続く言葉を想像してみるのも楽しい展覧会です。

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こちらの記事もぜひ
ゴッホとゴーギャン展

展覧会のホームページはこちらから
三菱一号館美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

ゴッホとゴーギャン展

オランダ生まれのゴッホ(1853~1890)と、フランス・パリに生まれ、ペルーで子ども時代を過ごしたゴーギャン(1848~1903)。1888年の秋、ふたりは南フランスのアルルで共同生活をおくっていたといいます。その年の12月、衝撃的な幕引きを迎えるまでは…。街を歩いていたゴーギャンに剃刀を持ったゴッホが走りより、その場では何もないまま立ち去りますが、気持ちのやり場を失ったゴッホは、自らの左耳を切り落とすのです。共同生活こそ破綻しますが、互いに尊敬し合い影響し合った間柄であったことがよくわかる、ふたりの展覧会が東京都美術館で開催されています。
<会期:2016年10月8日(土)~12月18日(日)>

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オランダ時代のゴッホは暗い色調の作風でしたが、32歳でパリに移ってから、印象派の輝く色彩や浮世絵の影響を受け、私たちがよく知るゴッホらしい表現へと変化していきます。展示されているゴッホの自画像の変遷にもそれがよく表れています。

そして、35歳のゴッホが向かったのは、陽の光にあふれ、果樹園や小麦畑が広がる南フランスのアルル。アルルで描かれた「収穫」(1888)には、青空の下、黄金色に輝く一面の小麦畑が色鮮やかに力強く描かれています。ゴッホの自然への愛情が溢れているようです。ともに絵を描きたいと、アルルにゴーギャンを招いたゴッホは、ゴーギャンの部屋を自らのひまわりの絵で飾り、迎え入れたとか。

一方、アルルでゴーギャンが描いた収穫の情景は、「ブドウの収穫、人間の悲惨」(1888)。アルルのブドウ収穫の場面に、そこにいるはずのないブルターニュの民族衣装をまとった女性と、ペルーのミイラのポーズをとる女性が描かれるという想像の世界です。記憶や想像を現実と組み合わせて描くゴーギャンの絵は、現実をありのままに描いたゴッホの「収穫」とは、あきらかに異なります。このような個性の違いが、少しずつふたりの亀裂を深めていったのでしょうか。ゴッホは、この絵を称賛したとのことですが。

ゴッホはゴーギャンをアルルに迎えるにあたり、自分にはシンプルな椅子を、ゴーギャンには肘掛け付きの椅子を用意したといいます。衝撃的な事件が起こる前に、ゴッホが描いた「ゴーギャンの椅子」(1888)。ガス灯のともる部屋に置かれたゴーギャンの肘掛け椅子が、画面いっぱいに描かれています。椅子の上には、ろうそく台と書物。想像から絵画世界を広げるゴーギャンを象徴しているといわれ、ゴーギャンの面影を重ねたゴッホの絵からは、ゴーギャンへの尊敬の念が感じられます。

事件の2年後、ゴッホはピストル自殺。その死から、11年後にゴーギャンが描いた「肘掛け椅子のひまわり」(1901)が展示されています。ひまわりの種をタヒチに取り寄せ、ゴッホが愛したひまわりを描いたゴーギャン。肘掛け椅子の上に置かれたひまわりには、ゴッホへの愛情が感じられ、胸を打ちます。

切ないまでのお互いへのオマージュとしての作品を含む、約60点が楽しめます。

201601 845

こちらの記事もぜひ
ゴーギャンとポン=タヴァンの画家たち展

展覧会のホームページはこちらから
東京都美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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心が豊かになるアートを見つけに飛び立つ青い鳥です。

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