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シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン展

誰もが知っている「ミッフィー(うさこちゃん)」シリーズを手がけた絵本作家、ディック・ブルーナ(1927~2017)。オランダ・ユトレヒト生まれのブルーナは、グラフィックデザイナーとしても活躍していました。シンプルでありながら、あたたかく、ユーモアのある作品のかずかずを、松屋銀座で見ることができます。
<会期:2017年4月19日(水)~5月8日(月)>

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ブルーナの家は代々、出版社を経営しており、ブルーナは1951年、父親の会社でデザイナーとして働きはじめます。初期のブルーナの仕事で忘れてはならないのは、ブルーナ社が1955年から発売した「ブラック・ベア」シリーズと呼ばれるペーパーバックの表紙デザイン。推理小説を中心としたこのペーパーバックの表紙デザインを、約20年間で2000冊以上も手がけています。

「ブラック・ベア」シリーズを宣伝するため、駅や書店に貼られたポスターも、ブルーナの手によるもの。1956年から1971年まで制作されたポスターには、愛らしい読書好きの熊がキャラクターとして登場します。目が赤いのは読書をしすぎたから、というのもかわいいですね。

雨の日も雪の日も、どんな天気でもブラック・ベアを読む熊。気持ちよく寝ころんで読む熊。窓越しに見える、読書する熊。人を振り向かせるアテンションがありながら、親しみやすく人間味にあふれるポスターは、今見てもとても魅力的です。

2017年4月、「クマくんが死んだ」というブルーナの未発表絵本が出版されました。ブラック・ベアのポスターに登場する熊の絵を使用し、読書が好きだったクマの死を悼むという内容です。2011年に制作されたものの、死後に出版されるのがふさわしいと見送られたといいます。2017年2月のブルーナの死後に出版されることになった、この悲しみの絵本は、関係者だけに贈られ市販の予定はないとのことです。

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展覧会のホームページはこちらから
松屋銀座

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

シャセリオー展

シャセリオー(1819~1856)とは耳慣れない画家ですが、展覧会のメインビジュアル「カバリュス嬢の肖像」(1848)には、ひとめで心惹かれる魅力があります。金髪でばら色の頬を持つふくよかな女性像とは異なり、青白くも見える透明感のある肌と澄んだ瞳、どこか憂いのある知的な印象が漂います。真珠色のドレスと水仙の髪飾りが美しさを引きたてて。

カリブ海のイスパニョーラ島に生まれたシャセリオーは、11歳で新古典主義の巨匠アングル(1780~1867)に入門を許され、16歳でサロンに入選。アングルをして「この子はやがて絵画界のナポレオンになる」と言わしめたとか。日本で初めてとなる本格的な回顧展が、国立西洋美術館で開催されています。
<会期:2017年2月28日(火)~5月28日(日)>

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20代に入ったシャセリオーは、ロマン主義の芸術家との交流を深め、アングルの古典主義から離れて、独自の作品世界を作り上げていったといいます。月桂樹に変身していくダフネと、ダフネにすがって嘆くアポロンを描いた「アポロンとダフネ」(1845)。叙情的な世界が、色彩豊かに描かれています。モロー(1826~1898)の「アポロンとダフネ」もいっしょに展示されていますが、構図が反転されてはいるものの、シャセリオーの影響が明らかです。モローは、シャセリオーが手がけた会計監査院の壁画に感銘を受け、師として慕ったのだそう。

水浴するニンフのかたちをとりながら、文豪ヴィクトル・ユーゴーをも魅了したという女優アリス・オジーをモデルに描かれた裸婦像「泉のほとりで眠るニンフ」(1850)。下に敷かれたピンクのドレス、腋にうっすらと見てとれるヘア。オジーと恋愛関係にあったというシャセリオーの感情が反映されているかのような2mの大作です。

1846年のアルジェリアへの旅も、シャセリオーに影響を与えました。「コンスタンティーヌのユダヤの娘」(1846~1856)には、異国の衣装と宝飾品を身に着けた、黒い眉と瞳の女性が描かれ、こちらを見すえた強い視線が印象的です。

37歳で世を去ってしまいますが、モローはシャセリオーの死に大きな打撃を受け、自宅に引きこもったといい、後年、シャセリオーの思い出にささげるオマージュとして「若者と死」(1881)を描いています。壁画家としての道を継承したというシャヴァンヌ(1824~1898)の作品も見ることができます。

19世紀前半のフランス絵画において、アングルやドラクロワ(1798~1863)に次ぐ重要な画家として位置づけられているといういうシャセリオー。知らなかった魅力が堪能できます。

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こちらの記事もぜひ
マティスとルオー展
シャヴァンヌ展

展覧会のホームページはこちらから
国立西洋美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

ミュシャ展

1860年、オーストリア領モラヴィア(現チェコ東部)に生まれたミュシャ(1860~1939)は、34歳のとき、女優サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」のポスターが大評判となり、時代の寵児として活躍します。私たちがミュシャときいて思い浮かべるのも、流れるような長い髪をなびかせ、花とともにほほえむ、流麗な女性のポスターなのではないでしょうか。

アール・ヌーヴォーの代名詞ともなっているミュシャが、歴史画の大作を遺しているとは、まったく知りませんでした。スラヴ民族の神話や歴史が壮大なスケールで描かれた「スラヴ叙事詩」は、縦6m横8mにも及ぶ巨大作品、20点の連作。チェコ国外では初公開となる全作20点を国立新美術館で見ることができます。
<会期:2017年3月8日(水)~6月5日(月)>

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フランスで名声を手にしたミュシャは、1910年、50歳のときチェコに戻り、スラヴ叙事詩の制作を開始します。1900年のパリ万博の仕事のために取材したミュシャは、スラヴ民族の貧窮を目にし、チェコ国民やスラヴの連帯感のために、スラヴ叙事詩を構想したといいます。

圧倒されるのは、まず、見上げるような作品の大きさ。巨大なキャンバスは、まるで演劇の舞台のよう。民族の荘厳なドラマが今も演じられているかのようです。しかも細部まで緻密に描きこまれています。

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スラヴ叙事詩には、あるひとつの場面ではなく、異なる時空間が重なって描かれているそうです。下の「スラヴ民族の賛歌」(1926)では、右下の青はスラヴの神話時代、上部の赤はスラヴの英雄が並ぶ中世、手前の黒い影が抑圧された時代、中央には民族衣装で花冠を運ぶ自由と団結を謳歌する人々、そして、新生チェコを象徴する大きく両手を広げた巨大な青年が。

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また、多数の作品で、画面のどこかにこちらに視線を向ける人物が存在します。展覧会のメインビジュアル「原故郷のスラヴ民族」(1912)で、輝く星空の下、怯えた表情を向けるのは、異民族から身を隠すスラヴ民族の祖先。目が合うと、たちまち絵画世界の中に引き込まれます。

ハープを奏でる少女は、ミュシャの娘がモデル。ミュシャは制作時に写真を活用し、家族や近所の人たちにポーズをとってもらって撮影し、組み合わせて構成していたそうです。

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シリーズ制作中の1918年にチェコスロヴァキア共和国が誕生。独立を未来の夢として描きはじめたはずが、現実の方が先に進んでしまいます。1926年に完成をみたものの古臭いとされ、行き場を失い、地方の古城でひっそりと展示されていたとか。

1939年、ドイツ軍がチェコに侵攻し、逮捕されたミュシャは釈放されるも、肺炎の悪化により死去してしまいます。ミュシャ魂の大作20点を眼前にできる幸せに満たされる展示です。

こちらの記事もぜひ
ミュシャとラリック

展覧会のホームページはこちらから
国立新美術館

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花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼

花森安治(1911~1978)が1948年に創刊した雑誌「暮しの手帖」は、公正な記事を掲載するため、一切広告を入れずに発行されたといいます。終戦まもない時代に、工夫とアイディアによる豊かな暮しを提案。リンゴ箱から作った子ども机や、着物の仕立て方「直線裁ち」で作ったワンピースなど、工夫次第で驚くほどモダンに仕上がること、そして、それを大切に使えばよいことを教えてくれました。

電化製品が普及すると、トースターやアイロン、洗濯機などの徹底的な商品テストを敢行。トースターのテストのために、食パンを43088枚焼いたというエピソードがあるほどです。戦争を体感した花森にとって、日々の暮しを美しくすこやかに営むことは何よりも大切であり、そのための情報であれば、全身全霊をかけて伝えていたのでしょう。

「暮しの手帖」の表紙画から、カット、レイアウト、取材、執筆、広告まですべてを手がけた花森の30年の仕事を振り返る展覧会が、世田谷美術館で開催されています。
<会期:2017年2月11日(土)~4月9日(日)>

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雑誌の顔ともいえる表紙原画も多数展示されています。ヨーロッパを連想させるような家具や調度品を描いた初期の表紙画。簡素化された線と明るい色彩で、身の回りの物をグラフィカルに配置した表紙画。暮しを創造する主役である女性を描いた表紙画。「暮しの手帖」のロゴが配置されると、どれもキリリと引き締まり、味わい深い独特の情感が感じられます。

1937年召集された花森は、満州に渡るも結核にて帰国。1941年、大政翼賛会の宣伝部で国策宣伝に従事します。似つかわしくないように思われますが、「もう二度と、こんな恐ろしい戦争をしない世の中にするためのものを作りたい。」と語るきっかけになったのかもしれません。戦争をしない世の中にするために必要なものは、ひとりひとりが自分の暮しを大切にすることだったのですね。

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暮しの手帖展を設営する花森安治(1950)

展覧会のホームページはこちらから
世田谷美術館

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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心が豊かになるアートを見つけに飛び立つ青い鳥です。

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