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モディリアーニを探して

モディリアーニ(1884~1920)といえば、アーモンド形の目と長い首の肖像画を思い浮かべます。十分な評価を得られぬまま、35歳で世を去ったモディリアーニが、本格的に画家として活動した期間は10年余りしかありませんでした。その期間を4つに分け、セザンヌ(1839~1906)やピカソ(1881~1973)など、モディリアーニが刺激を受けた同時代の画家の作品とともに展示し、その時代のパリの芸術をも浮彫りにする展覧会が、箱根のポーラ美術館で開催されています。
<会期:2014年4月12日(土)~9月15日(月)>

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イタリアで生まれ育ったモディリアーニがパリに来たのは、1906年、21歳のときでした。第1章(1906~1909)のモディリアーニは、モンマルトルに居を定め、ピカソの住む集合アトリエ兼住居「洗濯船」に出入りするようになります。「青いブラウスの婦人像」(1910頃)は、画面全体が青のトーンで覆われており、静かでメランコリックな雰囲気。“青の時代”のピカソの「海浜の母子像」(1902)と並べて展示してあり、ピカソの影響を受けていたことがうかがえます。

イタリアでのモディリアーニが彫刻家を志していたことを今回はじめて知りましたが、第2章(1909~1914)のモディリアーニは、石の直彫りによる彫刻に取り組むようになります。折しもパリでは、アフリカやオセアニアの彫像や仮面が関心を集めていたといいます。6月まで国立新美術館で、国立民族学博物館のコレクションから世界各地の仮面が展示されていましたが、素朴で力強い造形に根源的な生命力が宿っているかのようでした。

モディリアーニの彫刻作品「頭部」(1911~12頃)にも、その影響が感じられ、モアイ像を彷彿とさせます。体力と経済面からモディリアーニは彫刻制作を断念しますが、原始の美からの影響が、後に描かれる単純化されたフォルムの肖像画につながっていったように思われます。

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第3章(1915~1918)のモディリアーニは、独自の肖像画制作に力を注ぎます。「髪をほどいた横たわる裸婦」(1917)は、片膝を立てた裸婦が、簡略化された力強い輪郭線で描かれ、フォルムの表現を追求したモディリアーニならではの作品です。1917年、生涯唯一の個展に出品するも、風紀を乱すとして撤去されてしまったとのことですが…。

第4章(1918~1920)のモディリアーニは、第一次世界大戦の戦火を避けニースに赴きます。ニースの明るい陽射しがそうさせたのか、「若い農夫」(1918)は、黒い輪郭線がなく、やわらかで清らかな雰囲気の肖像画。「女性の肖像」(1917)も、両手を膝の上で組み、ちょっと首をかしげた女性が描かれ、やさし気な雰囲気が漂っています。このトーンの作品をもっと描いてほしかったと思いますが、1920年、結核の悪化により、世を去ってしまいます。彼のモデルにもなった恋人のジャンヌも、モディリアーニの死の2日後、窓から身を投げ、お腹のこどもとともに後を追います。21歳でした。

モディリアーニの生涯と、彫刻から派生した独自のフォルムを描いた絵画の成り立ちが、とてもよくわかる展覧会です。

展覧会のホームページはこちらから
ポーラ美術館

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テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

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